革吉から獅泉河/アリ
8時30分、少し早めのスタートの予定が、7時に起きたら電気がつかない、停電だ、よりによってこんな時間に。同室のKさんの明るい懐中電灯のおかげで準備できた。
チャンタン高原の食事はけっこう満足できるものだったが、ホテルはやはりチャンタン高原だった。水が出ない、とうぜんお湯も出ない、停電が頻発する、それもいつ止まるか予告なしで起きる。
電気は昼間はほとんどつかない、たぶん節約しているのだろう。少し薄暗くなってくるとつく。
お湯も昼間は出ないことが多い、洗濯しようとしても冷たい水でやる気をなくす。夜になっても出ないところがけっこうあった。結局体を水で拭いて終わりだ、それでも女性kさんはすごい、冷たい水でも長い髪を洗っていた。
基本的に水も電気も足りない上にインフラがまだまだ整わない。一番最初に整うのは町の中心を通る一本の道だ、そこから中国の町づくりが始まる。
早くホテルについたからといって、シャワーを浴び、洗濯して、温かいお茶を飲みながらテレビでも見ようと思っても無理だ、すべてできない、薄暗くなるのを待つしかない。ついでに中国のテレビは局数が多すぎて操作が実に難しい。
WiFiはどのホテルにもあったが、パスワードは書いてあっても、ネットワークはどれを選べばいいのかわからない、各階ごとネットワークが違うのだ。きちんと使えたホテルは少なかった。フロントでひつこくたずねるしかない。
10年ほど前ウリさんは同じツアーを催行しているが、その時はほとんどがテント泊だったらしい。
また北に上る、幹線道路をはずれるととたんにチャンタン高原になる。
北に上る理由は「昴龍崗日6596m」それを見に行くのだ、なにせなにより山が見たい山男が二人、山岳写真家が二人いる。
よく考えれば、山には登らないがこの旅はチベットの山を中心に巡っている。チベット人やその生活が見たい私は少しずれているかも。この山見物もいつ決まったのか私の知らないうちに車が向かっていた。
朝早いせいか、少し寒いせいかとても静かな感じだ。しのび足で静寂の中を進むという感じだ。今までとは少し雰囲気が違う道を行く。
起きてもなかなか血が体に回らない私は、これからはお経で目をさますようにしようと思ったが、チベットのお経のCDが手に入らなかった。
少しはげてる私はホテルでたまに頭を洗うとタップリ毛が抜けてゾッとしてしまう。最近歯が割れて被せ物をした部分が痛む。そして肌が弱いせいか日に焼けた肌のむけた薄い皮が張り付いたままで、どうゆうわけかいくら洗ってもはがれない『閲覧注意』 。
唇もすごく乾く、リップクリームは必需品だ。今は中国でも売っているから忘れても問題ない。ただし中国製は柔らかすぎて数日でなくなる、韓国製がおすすめだ。中国製のクスリも悪くない、Kさんが鼻炎になったが中国製のクスリを使って1日で治った。
丘を登った、しかしその向こうにも山が連なっていた、少し走ってみたがそれらしき山は見えない。
この道の先にありそうだがどこまで行けばいいかわからない、あきらめて戻ることにした。カメラマン達はがっかり。
革吉を通り越し獅泉河をめざす。大きな川が現れたインダス川らしい、確かに獅泉河まで続いていた、しかしガイドブックのころの道とは、違うルートを走る舗装道路になっているようだ。
その川岸でミニピクニック、しているわけではない。
チベットの道には時間制限があるのだ、そのために車を止め休憩して時間を調整する。
それにしても三人はとても仲がいい、暇があれば話をする。よくそんなに話す事があるもんだと思うくらい。そうしてじゃれあっている。
ふと思ったので聞いてみると、三人はやはりラサの同じ町に住んでいた。歳は離れているが幼なじみのようなものだ。
ぜひ三人に日本に来て日本旅館に泊まらせてあげたい。一晩中マクラ投げをしているだろうぜったい。
西の果て獅泉河に着いた。この町は阿里という名と獅泉河という二つの名がある、阿里はチベット語のンガリから。なら獅泉河という名はなぜついたのだろう。この川のチベット名はセンゲツァンポ、中国語の発音はshi quan he、似てない。英語でもないしヒンズー語か?
じつはマナサロワール湖の辺りに四つの口から大河が湧き出すという伝説がある。その一つ獅子の口から流れ出したのがインダス川、そこから名がついたのだ、知らなかった。
阿里の町は特に何もないが、サイト上でいろんな人の写真を見ていたのとは大違いになっていた。かなり大きい町になっていたのだ。中国の西の方も好調な中国経済の影響を受けてずいぶんと発展している。
いい食堂が見つからず、運転手達が行きたがったウイグル料理の店で夕飯をとった。
ラグメンとカワプとナンを久しぶりに食べた、おいしかった。ホテルまでのんびり歩いて帰った。