25日間西チベット一周・チャンタン高原とカイラス巡礼

2015年9月26日から10月20日までラサから北回りでアリまで、帰りは南回りでラサまで旅した記録です

ラサ空港、成都経由北京→羽田

 
旅行を終えラサ空港へ、待合所で見かけたチベタンオヤジの腕、写真のピントがずれてるがなかなかかっこいい、今年の夏はこの感じで行くか、ってむりだけど。

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エベレストの水を売っていた、宣伝の写真がきれいで記念に2本買う。あの写真は合成ですよ、エベレストの横にあんな山はありません、どこから流れてきた水かあやしい、とウリさんに軽くいなされる。でもいい。
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正月に飲もうと思って忘れていた。旅行記が完了したから飲んでみた。少しチベットの香りがした、なんてわけはない。
 
成都の空港から武侯祠近くのホテルまで、一時間弱ずーっと近代都市の街並みなかなかきれいだ、いつこうなったんだろうすごい発展だ。成都は西側つまり中央アジアを取り込んでしっかり経済発展していたのだ日本人の知らないうちに。
 
都市の街並みから横に折れていくと昔の感じの成都が現れた。武侯祠大街から入った武侯祠横街の蜀峰花園酒店に宿泊、ホテルは少し古いが設備は問題ない、安いしチベットファンにはおすすめ。なんせここはチベット街だ。お土産はバッチリ。
 
そして左側の武侯祠入り口には古い建物を生かした土産と屋台の通りができていた。なんかニュースで見た事がある、錦里小吃一条街というらしい、小さくおしゃれな中国の土産物屋が並んでいる。食べ物屋台も清潔な感じがする、見て回ってもけっこう楽しい。スターバックスもある、がら空きだけど。
 
もう暗くなったチベット街をふらついていたら、ラサであれだけ探しても見つからなかったTさんがほしがった歌手のCDを屋台で売っていた、みんな自分のことのように喜ぶ。
 
ウリさんが武侯祠の中の会場で写真展を開く予定で、その打ち合わせが長引き食事は遅くなった。いつになくニコニコのウリさん、きっといい話がまとまったのだろう。
 
ホテルから少し離れた小吃街、屋台をいくつも集めて大きな食堂街にしたような所で食事、朝までやっている。開放的な外のテーブルで打ち上げ、みんな心おきなくビールを飲んだ。
 
旅も終わりだが、持って来たカメラの電池も全部使い終わった、最後の一枚。これを撮ったら電池が消えた、ピントを合わすこともできずに。

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 これは何かというと、ウサギの頭の煮込んだもの、これがうまい、最初いやがった人もみんな一つずつたいらげた。なぜかものすごく油っこく、ビニール手袋をつけてかぶりつく。
 
胴体の料理は成都では見かけないがいったいどうしたんだろう、きっと胴体はフランスに送られ上品な料理に変身したのさとうわさしていた。送られそこねた頭がもったいないので、なんでも食べちゃう中国人が食べ方を考えたのさ。
 
 
夜も更けゆっくり歩いてホテルへ帰った。
 
翌日北京経由で羽田へ、荷物を受け取りそれぞれ帰宅。ずいぶん長く一緒にいたせいか別れがとてもなごりおしかった。
 
 
 
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北京空港の出発はあんのじょう遅れた、なんとか東京の交通機関は動いていたが。スーパーで食べ物と安いワインを買い、0時過ぎ家に着く。
 
ホッとして部屋の電気をつけると、壁に貼っておいたチベットの地図が目に付いた。そうだチベットに行けるのがうれしくてずっと眺めていたんだっけ。
 
撮った写真をPCに移しワインを開けて見ているうちにいつの間にかねてしまった、
 
翌日なんだか熱にうなされて何日か寝ていて目が覚めたような、遅い朝だった。
 
不思議だ、飛行機で横に4600キロ縦に3500キロ飛んだだけで行ける所なのに、そんなに違う生活をしているわけではないのに、もうなんだかとても遠くに離れていく。
 
とても行きたかった旅が終わってしまった、チベット自治区はそう簡単には行けない、パーミットもガイドも車の手配もいる。
 
久しぶりの東京の街の歩道にも早すぎる落ち葉が舞っていた。
 
また自分の日常の繰り返しに戻らなければ……
今度の旅の反動は長く続きそうだ。
 
 
 
 
 
〈オヤジとしての旅のまとめ〉
 
・やはりチャンタン高原の旅はそうちゃんたんではない
 
・おっ、チベタンがジベタンにはりついている、五体投地
 
・今年は気をつけて歩かなっくちゃヤク年だから、とヤクが言い
 
チベタンが入れてくれた美味しいチャガモ (ミルクティー)、ゆっくり飲もう、ちゃがもう。
 

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パルコル一周12分33秒

 

余った一日を使ってガンデン寺見学へ行こうと話が決まったが、私は一度訪れている。そこでやっぱりパルコルに一人行くことにした。

我ながらパルコルが好きだ、午後三時ごろガンデン寺組とホテルで合流してまたパルコルまでおみやげの調達に行く約束もした。

 

チップのせいで手持ちの金がなくなった、ホテルから中国銀行まで散歩、途中の建設銀行の前にATMボックスがあった。VISAカードを持っていれば簡単におろせる「自助」と書いてあるのがATMの意味だ。

 
どんな銀行でもあるし24時間やっている、それに手数料も安い、日本より便利だ。(このときは偶然うまくおろせるATMだったみたいだ、6ケタの暗証番号でないとほとんどの所はおろせないらしい)。日本の両替所の手数料はバカ高い。しかし正直手数料をいくら取られたかよくわからない、帰国後届いた振り落とし通知には詳しい記載がなく、二か月に分けて振り落とされていた。


またリンタクでパルコル到着。まず最初においしいコーヒーが飲みたい、そこでパルコル横の丹傑林路にあるホテルの横のサミットカフェへ行ってみた、ホテルの工事で一緒に直していると思ったが、裏口から行くとやっていた。

ここはスターバックスのような雰囲気で、WiFiも使えコーヒーもおいしい。欧米人もいっぱいいる。そしてこのホテルには過去に二度泊まった、ビジネスホテル風に改装している。立地条件としてはベストだ。従業員はみんなチベタン
 
 
さあ、コルラだ。胸にウエアラブルカメラを取り付けて出発、コルラルートに入るにはチェックポイントを通らないと入れない、あぶないのでカメラは外してカバンの中。

チェクポイントはそんなにうるさくなかった、時期によるのだろうか、公安はチベタンぽい。めんどくさいことにコルラルートから抜ける道にはどこにでもチェックポイントがある。前はなかったここ一、二年でつくったのだ。
 
 
再びカメラを装着してスタート。

よく考えるとみんな後ろ姿だ、ポン教徒のふりをして逆回りして撮影すればよかった。
 
道に並ぶ屋台を政府が片付けたといっていたが、このほうがいいかも、ちゃんと後ろに楽しい店は並んでいるんだし。新設したダサいデザインの街灯も、チベタンの風景にのみこまれている。


もう一度コルラする、今度はゆっくり店をのぞきながら。トゥパでも食べようと店を探すがない。井戸端会議してるおばちゃんに聞いてみると、その先曲がった所にトゥパではなく牛肉麺の店があるからそこにしなさいと言われる。

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なんかいい感じのゲストハウスの中庭だった。ビールを飲みながら食事。青空を見ながら旅のあれこれを思い出す。

 

 

 
 
ホテルに戻りみんなと合流、またタクシーでパルコルへ、少し外れのイスラム寺院の付近でおり近くの工芸品の店へ、そしてパルコルのお店をのぞく。Tさんが欲しがった歌手のCDをパルコルあたりで探すがどこにもなかった。

何度来ても楽しい、今回も合計3回コルラしたから大満足、ホテルへ戻って食事。明日は成都


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この旅は2016年も催行が決まっている。だいたい同じ時期に。

すでに一人申し込みがあったらしい。私と二人だけでも催行します、とウリさん。
 
え、ずるい、きっと一人だけ、今回行けなかった普若崗日氷河の写真をものにするつもりだなと思ったが。年が明けて発表された旅のルートに普若崗日氷河はなかった。

きっと中国政府が許さないのだろう、理由はわからないが。今回の旅行も橋が落ちて行けなくなったというのは今考えれば嘘だろう、この時期チベットの水量はシーズンを通じてどこも最小の感じだ、橋が落ちるわけがない、きっと旅行社が言うチャンスを失ってこうなったんだろうと思う。
 
旅行者の行けない普若崗日氷河は幻の氷河となっていくのか……。

この旅行に興味のある方はこちらから検索、
 
      gesanmedo

これ以外にも毎月のようにチベット文化圏への旅行が予定されている。
 
 
 
おまけ動画
旅行中雨はなく、ほとんど風もふらなかった、ぽっかり浮かんだ雲も止まっている、しかし地をはう黒い影で動いていることがわかる。

 

ギャンツェ経由ラサ

 

ここで作られた青稞(チンコウ/はだかむぎ)チベット全土のツァンパをまかなっているのですよ。とウリさんが言うだけあってシガツェからの道はずっと穀倉地帯だった。

 
木も多いしなかなか美しい農村地帯だ、気候も穏やかな感じがする、こんな所がチベットにあるとは思はなかった。主食のツァンパは自給自足していたのだ。
 

 

 

 
道の途中で休憩、畑の先を見るとギャンツェの街が見えた、ここはギャンツェを見るための駐車場のようだ。

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右がゾン(城塞)、左が白居寺。しばらく休んでから町へ入って行く。ここの注目は白居寺にあるチョルテンの壁画、しかし残念ながら修理中だった。一層目だけは解放されている、しかしグルっと一周してもほとんど同じ絵であまり感動はなかった。

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ギャンツェを後にし、名を忘れてしまったが高い山の撮影を企画し、そこへ行くことになった。撮影場所に通じる細い道に入ろうとしたがまたもや入口にチェックポイントがあった。ロサン達が交渉しに行ったがあんのじょうダメ。

しかたない素直にラサに帰ることにした。何年か前来た時はチェックポイントもなく簡単に行けたらしい。なぜか監視がとても厳しくなっている。

この旅行も、行く予定の場所は事前にチベット自治区の旅行社、ロサン達の会社を通して全て提出してあるらしい。提出してない所には行けないのだ。

まだ一日余っている、ここからサムウェ寺に行きたいとKさんが言ってみたがそうゆう事情でとてもむりだった。これは中国国内に住む中国人といえども同じだ。バイクに乗る若い中国人がチェックポイントで追い返されているのを見かけた。

 


シミ・ラ神山、ここは人造湖、久しぶりの湖、きれいな青だ。

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カロ・ラに到着、こんな所に氷河があった。このルートは観光コース、中国人がいっぱい。この辺りけっこう標高が高い5045mくらい。

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このあたりの道は雪を薄くかぶった山が並ぶ、思っていたチベットの風景に近い。正直チベットの道路は、雪をかぶった7000m級の山々の裾野を走っているのだとばかり思っていた。
 
そうではなかった雪におおわれた高い山は、なだらかに上下する丘を越え、入り組んだ山々を越えやっとたどり着ける。
 

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あ~ん、チョコレートケーキが食べた~い。

 

ヤムドク湖手前の町、ナンカルツェにある欧米人に人気の店で食事。ゆっくり食べているとロサンがやって来た。2時になると道路が封鎖されるらしい、急にあわてて食べ終える。

またもなんか政府がいちゃもんつけてんのかと思ったが、入り組んだヤムドク湖の湖畔を走るうち道路工事用のでかい車がいく台も止まっていた。道路工事を通行を止めてやるみたいだ。

ヤムドク湖の展望台に着く、少し高い丘から望むせいか青い色が深く思っていたよりきれいだ。ここも中国人がいっぱい。へたに石碑を撮ると金を取られる。着飾ったヤクもあぶない。

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ついにヤマドク湖、ナム湖、マナサロワール湖のチベット三大湖をこの旅で制覇したぞ、わーい‼︎   でも、ニマあたりで見た小さないくつもの湖の方がいいな!

ヤムドク湖もダム湖ではないのかと思うような形をしている。地図上ではまっすぐに見えるが、湖畔を沿う道はくねくねと曲がったいてなかなか終わらない。

 
湖畔に沿った高地を下るとついにラサに続く高速道路にたどり着いた。目の前がヤルンツァンポだ。やっとあこがれの川を見ることができた。

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ラサはまだ秋が終わってはいなかった!

しかしここからラサはけっこう遠かった、約一時間退屈な高速道路を走り抜ける。終わり近くラサ駅のそばを通る。二、三年前は何もなかったはずなのにたくさんのビルかマンションが建っていた、いったい誰が入るのだろう。

ロサンが言う、この辺りを二ューラサっていうんですよと。まあいいけど。

この旅行記を書いていた三月中旬、全人代が四川からチベットに入る鉄道の新設を承認したというニュースが流れていた。まあいいけど。

成都からどういうルートを通るのだろう、自治区のラサから東側は山が入り組んでいて工事がとても大変だと思うけど。国連のどこかの機関がこのニュースを受けて、自然破壊と多くの漢民族の流入を心配して反対を表明していた。シガツェまで伸びた青蔵鉄道をネパールのカトマンズまで伸ばすという話もあるし。

ホテルに到着。ロサン達にチップをあげる、今や自治区ではドライバー達へのチップは常識になっているらしい。チップとはいえ20日以上も一緒だったわけだから一人に二、三万円あげる、バカにならない。

そしてたくさん並んでいる大きなレストランの一つでゆっくり食事、明日は成都かと思いきやもう一日あまっていた‥。


 
おまけ5  チベタンとジャパニーズは親戚だ

チベットを旅行してみて私はどうしても遠い昔チベタンの一部がモンゴル、満州、朝鮮経由で日本にたどり着いたと思えてならない。そう思ったいくつかの事。

・顔が似ている、少し黒いが
それだったら漢族や朝鮮族も似てるじゃないかと言われそうだが。東京でしょっちゅう見かける朝鮮族の顔はどこか違う、漢族も違う、見てなんとなくわかる、自己主張が強いせいだろうか。ようは生き方が似ていると顔も似てくるのだと解釈している。
でもこのごろの漢族は金持ちになったせいか、あか抜けて、ファションセンスも良くなり日本人と違わない若者が多くなった。少し困る。

・お茶やうどん類のつゆを音を立てて食べる。
今回会った大金のにいちゃんは目の前で音を立ててお茶を飲んだ。彼ばかりではない、他の所でも二、三回目撃している。世界広しといえども音を立てるのはチベタンとジャパニーズだけだ、チベットに文化の近いネパリーズ、ブータニーズはわからないが、ラダッキーは音を立てない。

・フレンドリーでホスピタリティにあふれている
今や世界的に認められている日本のおもてなしの心、旅行をしていてチベタンの中にも同じものを強く感じる。店やバス乗り場なので何か聞くといやがらずに笑顔で教えてくれる。漢民族は自分が忙しかったり気に食わないと追い払われてしまう。ちょっと困った顔をしてるとわざわざ近寄ってきて大丈夫かと心配してくれるおじいさんに何回かあった。
チベットと文化の近いネパールで地震が起きたとき、救援物資をもらうため日本人のようにきちんと並んでいたのは有名。暴動が起きたという話も聞かなかった。

この頃日本の民度に学ぼうとする中国人が増えてきているみたいだが、中国の少数民族の中に同じような体質を持つ人々がいる事に気づいてほしい、風呂に入らず汚いとか、鳥葬をする残酷な民族だと言って排除せずに。中国人はチベット人から学んでほしい。