普蘭からサガ、さよならカイラス
今日は少し早く8時集合、暗いなか食事して出発。サガまで550キロ近く走る。
こんな暗い朝に食事する所があるのか、と思うがちゃんと一軒開いていた。中国は朝早くても食堂は町で一軒必ず開いているし、タクシーも20分ほど立っているとかならず流しているタクシーが通る。
今日のほうがカイラスの遠景が美しい。
街道に出て東へ、だんだんカイラスが遠ざかる。峠でもないのにタルチョが飾られていた。たぶんここがラサ方面から来た人には最初にカイラスの姿が見られる所。逆に巡礼を終えた人には最後に望める所なのだろう。
さよならカイラス。
ラサからカイラスへのツアーをする人にとってはこの辺りの風景はまさしくチベットとうつるかもしれない。冬を迎える前の枯れた大地、遠く見える同じように茶色い土がむき出しの小高い丘の連なり、そしてその遠くに見える雪を冠った峰々、そして遊牧民、たまに現れる野生動物。
夏になるとこの大地はどうなるのだろう、みどりでおおわれるのだろうか、山はどうなるのだろう、遊牧民が多いから全面みどり色だろうか、想像できない。
何年か前にカイラスについてのある旅行社主催の講演会があった、二人の講演者は話を終え、でも今は道を整備している最中、もうすぐ舗装が完備されカイラスまでたやすく行けるようになるでしょうと語り、少しさみしそうな表情を浮かべた。
チベットの大自然を楽しもうと旅行している私達には近代化は悲しく映る、しかし、野菜がほとんどとれないチベットでチャンタン高原でもけっこう豊富に野菜があった。
チベタンにとっては近代化はやはりうれしいのだろう、普通に暮らす若者達にとっては都会と同じおしゃれもできるし、当然いろいろ便利だ。
懐かしい風景をとるか、そこに住む人々の便利さをとるか、自然を求めて旅行する者にとってこれは世界共通の悩みだろう。
しかしひとつわかったことがある、きれいで乗り心地のいい道を、車に乗りボーッと景色を見ていると細かい所に気づかずスーッと通り過ぎてしまう危険がある。
工事中のガタガタ道はつらいが、ある程度整備された砂利道の方が景色を楽しめる。ある意味景色と自分を一体化できるというか……。
なにが言いたいかというと、そうゆう意味で通り過ぎたこの道プランからサガは退屈だったのだ、私には特に。
しかし、旅行後Tさんからもらったメールにはこんなことが書かれてあった。
『今回、私はカイラスからの帰途、慧海が危うく命を落としかけたという「チェマ・ユンズンギチュ」という川が、どんな川なのか見てみたいと思っていました。私はてっきりマユムラ峠からの帰途、車がこの川に掛けられた橋を渡るのではないかと思っていましたが、われわれの車は、その川が本流(馬泉河=マブチャ・ツアンプ、慧海は「マブチ ャ・カンバブ」と書いている)と合流した後の馬泉大橋という橋を渡ったので、「チェマ・ユンズンギチュ」はもう通り過ぎてしまったことを知り、いささかがっかりしました。』
そうか、慧海さんはネパールザムタンあたりからヒマラヤ山脈を越えこの道を通ってカイラスに向い、再びこの道をラサまで行ったのだ。それを楽しみにしてTさんはこのあたりの風景を眺めていたのか。
ずいぶん前に夢中で読んだ河口慧海さんのチベット旅行記。もうすっかり忘れてしまっていた。私も旅行前にこの本を読みかえしておくのだった。そうすればこの道をもっと楽しめたのに。
Tさんの言う「チェマ・ユンズンギチュ」という川は慧海さんの本には書いてあるが、他の地図で探してみてもよくわからなかった。もう少しいろいろわかるチベットの地図がほしい、日本語の。
私はこのシーンの方が頭に残っている。その場に慧海さんは座り込み遠くを見つめる、見渡すかぎり全面静かに雪がふり続いている。そしてその美しさに慧海さんは死を忘れ見入ってしまう。
チベットの草原に静かに降りしきる雪、慧海さんは他の場所でも何度か感嘆している。
雪なら日本の方が上だ、しかしどこまでも続く平原は日本にはない。そんな所に座り込みいつまでも雪を見ていたい、そしてそのまま死んでしまいたい……。などと少女のような夢をえがく。しかし今どきそんなことを考える少女がいるだろうか。
チベットの雪を見るツアーというのをどこかの旅行社が企画してくれないだろうか、シガツェあたりに宿をとって。
道はまだまだ続く。
マユム峠、5216m。ここがチベットの東西に流れ出る川の分水嶺かと思ったが違った。ポッコリ突き出た山にすぎない。最大の川ヤル・ツァンポ(川)はここの西南のあたりから馬泉河として流れ出している。やはりカイラス付近がすべての川の分水嶺なのだ。
小さな町がいくつかあった、そんな町のひとつで食事、名前は忘れた。その町のトイレ、上って用をたす。高いから気分はいい、きたなくもなかったし。
砂漠があった、減りもしなければ増えもしないみたいだ、環境破壊のせいでないとするとなぜなんだろう、昔からあるらしい。
シガツェまで遊牧民はたくさんいる。
少し山が高くなり雪を薄く冠っていた。
そうこうしてサガに着いた、ここはネパールからカイラスに行くツアーの中継地だ。思ったより小さくチベットの普通の町だった。
おまけ1 カン・リンポチェ
旅行後ネットで見つけた上空から撮ったカイラスだ。内側はこんなふうになっていたのだ。
北壁を見た人が感激して近くで見たいと思い山を登ったがどこまで行っても見えなかったという話を聞いた。これでは無理そうだ。火山が爆発してできたんだろうか、巡礼路はどの辺なんだろう。
しかし少しぶきみだ、というか自然の大きさに少したじろぐ。
カイラスにはチベット語で、カン・リンポチェ/雪の高僧という美しい名前がある。カイラスと呼ぶととんがった孤高の峰を連想する、それに言いやすい。しかしこの写真を見ると、年をとっても悩み瞑想にふける孤独な高僧に見える。
やっぱりカン・リンポチェだ!
マナサロワール湖経由普蘭/プラン
9時30分出発、大金からゆるい下りを過ぎすぐに街道へ、来たときとは逆に東へ。これからいくつかの町を経由してラサにもどっていく。まずは南に下って普蘭まで。
言いにくい名のマナサロワール湖/マパム・ユムツォの外れの町を右に曲がり二つの大きな湖に挟まれた道を行く。
基本は平べったい大地に平べったい湖が二つだが、実際はなめらかな丘がいくつも続いていて車からはそんな遠くは見えない、丘に登って望めばきっときれいだろう。
すぐに小高い丘の上にゴンパが見えた。あそこに登ればきっと平原にかこまれた美しいカイラスが見えるだろう。しかし逆に大金の丘に登っても湖は見えなかった。
ゴンパの横に温泉の建物があった、どんな温泉なんだろう、ちょっとのぞいてみたい気がするが車は通過。
何回か湖畔で休憩したのだが、カイラス巡礼が終わり、あまり記憶が定かではない。湖畔と言っても日本のみどりにかこまれた湖畔とは大違い、なんにもないから向こうがよく見える。
こんな所にうまいコーヒーが飲める店があったらいいのに、広い湖を目の前にボーッと景色を見ながら長居する。スターバックスあたりがガソリンスタンドのようなコンテナ形の店を出さなかなぁ、と思う。
この辺りから見えるカイラスは東壁。
マナサロワールの西にある湖の方が神秘な色をしている、深い青だ、ランガクツォ。しかし悪魔の湖として嫌われているらしいなぜだろう。札達で見たサトレジ川はここから流れ出しているらしい
普蘭はネパール、カトマンズへ行くルートの町、今は地震のおかげで閉鎖されているらしい。ネパールとの交易の町とはいえネパールっぽいものは見かけなかった。でもネパールぽいものって何だろう、自分で言って自分で困る。
町はなんとなく静かで暖かい気がする、通りを歩く人が少ない。ホテルで部屋割りをして少し休憩、まだ時間があるのでみんなで散歩に出かける。
車の中から珈琲という看板を見かけたのでそこに行ってみる、しかし店はとうにつぶれていた、こんな所でコーヒーを飲む人はいなさそうだ。
しかたなく茶館を見つけ入る、けっこう落ち着く店の二階でチャガモを飲みながら四人で話をした。
TさんとHさんは、かなりチベット文化圏を旅行していた。私が行きたいと思うところはほぼ行っていた。こんな風にチベットを行きつくしている年配の方はけっこういる。私もがんばらねば。
しかしこの男よく見るとイケメンだ、少しひに焼けているが。そのせいか女には自信があるみたいだ。
彼の得意技は、夕暮れの街で可愛い子と行きちがう瞬間、手を握ってしまうという荒技だ。二度ほど見た、握られた子もふっと微笑んでふりほどく、なんなんだろう、ただの遊びだろうな。
こんなこと日本でやれば痴漢以外の何者でもない、チベットでは許されるのか。私にはとても無理だが、誰か自信のある日本の若者に試してもらいたいものだ。
そんなわけで、21才の時、19才の可愛い女をものにしたんだと自慢していた。おかげで12才の息子がいる、5歳の娘と、いま彼は33才。
チベット人でよくふざけてじゃれつくのが好きなやつがいるが、次の日同じ調子でこっちがわざとのってじゃれついても、シラーとしているというのがある、チュンペイもたまにあった。あれも不思議だ。
しかしこの男のおかげで私たちの旅が、一層楽しいものになったことは間違いない。ウリさんとは5回も付き合っている、運転は問題ない。
カイラス巡礼その2
今日もいい天気だ、早く起きて写真など撮り、出発。
昨夜はけっこう疲れてよく眠れたようだ、でも標高のせいか何度か目は覚めた。よく眠っていたわよとHさんに言われた、そうとういびきをかいてたな。
歩き出して少ししてから振り返るとゴンパが山の斜面にはりついていた、小さく見える。
北壁からも帯のように山を引きずっている、いったいどんな形をしているのだろう。
だんだんカイラスが見えなくなっていく。この後カイラスを見ることはない、まだ半分だというのに。
高い所におじさん。
、
右の写真は何をしているのかといえば、ルンタを投げているところをバッチリ撮ったつもりだが……この撮影はなかなかタイミングが合わず難しい。モデルとルンタを投げる人を別にして撮ればそれらしい写真になるかも。
チベタンもラでピクニックするのを楽しみにしているようだ、いく組か座を囲んでいた。
チベット好きで何度も訪れているHさんが、きれいに折りたたんだケサを、なんと五、六枚も家から持ってきてタルチョに結びつけている、またここに来れるようにと…少し手伝う。
お約束のルンタを一人ずつ投げ撮影して全員満足。いざ下りだ、みんなストックを取り出して歩く。下りを苦手としている私にはこれからがたいへんだった。
ちいさい伝説の湖、ヨクモ・ツォが見える。道は最初のうちは土に砂利の道だったが、そのうち大きな石ころが重なった上を歩く。実に歩きにくい。道を間違ったのではないかと思うほど。
これより大きな石が延々と並んでいる。
しかしおぼつかない足取りで歩いているのは私くらいで、山男二人はどんどん下って行く、大きく引き離されてしまった。こんなところはいつも歩いてますから平気ですと言っていた。
どのくらい歩いただろう、ずっと先を行っていった三人が休憩できる平地で待っていてくれた。
左の上から降りてきた、下りはここで終わり。
休憩所のテント。下りは写真どころかろくに動画さえなかった、転ばないようにするのに必死で、景色などどうでもよかったのだろう。
ずいぶん時間が過ぎていた、これからズトゥル・プク・ゴンパまでは3時間くらいかかると書いてあった。私やHさんはもう疲れてとても歩けそうにない。そこでチュンペイが車で迎えに来た。じつはウリさんが出発前に頼んでおいたのだ。
ネットの写真などを見るとここからは広い河原をずっと歩くようになっていた、もちろんカイラスは見えず景色も変化が少ない。そこで車で大金まで戻れば一日かせげてそれを他の山の撮影にあてられるってゆうことだ。
河原の両端には、いつ造ったのかきちんとした道ができていた。一台に六人乗って、車はゴンパを通り越して宿まで。最初は砂利道で慎重に走ったが、ゴンパからは舗装されていた。道は二本ありもう一つの道を、けっこう多くの巡礼を終えたチベタンが歩いていた。
巡礼はそうゆう感じになってきている、峠の登り降り以外は、道は走りにくいが車が通れるようになっている、苦労して歩いている人のじゃまをしながら。あと何年かすると道が整備され中国人観光客がそう難しくなく巡礼できるところになりそうだ。
しかし突然の大酒大会とはいかない、350ミリ1本くらいずつで我慢した。ラサに着いてから約二週間よくみんな我慢した。体はすっかり高地に順応している今、その後の夕食については説明するまでもない。
しかし……なぜかいまひとつ満足が足りない。なんでだろう、たぶん一周ぐるっと歩いて回りたかったのだと思う。つまらない道があっても疲れ果ててもそんな満足感が欲しかったのかもしれない。