ニマからチャンタン高原を北上
氷河見物が中止になったため、1日余った、そこで二マから逆にたどって双湖への道を探ることになった。来年は絶対来ると言いはるウリさんの下見をかねて。
本来なら双湖からニマへの道を走ることになっていたが、この道はかなりむずかしそうだ。道なき枯れた草原を行くことになる。
9時出発、公道に出てすぐに北上する、スマホの地図をたよりにそれらしい道をさがす。
9時出発はずいぶんのんびりしていると思うだろうが、8時だとまだ明るくならない、8時半頃明けてくる。暗くなるのも夜8時だ。北京時間だから。
しかしウリさんが言う、北京時間とは言われているけれど、中国全土の真ん中、西安の少し南寄りの時間が基準になっているのですよ。だからじつはけっこう公平なんです、北京時間とは名ばかりです。
しかし西安近くが標準時で、日本から1時間遅れは少し疑問がのこるが。
枯れた草原の所々に遊牧用の家がある、夏専用だ。もうシーズンが終わっているので誰もいないはずがこの家は車がとまり煙が出ていた。
夏が終わって草が枯れて遊牧民たちはどこへ向かうのだろう? そしてこの辺りに定住している遊牧民は家畜のえさをどう確保するのだろう?
望遠レンズがあればいろいろ変化のある風景が撮れるが、私のカメラでチャンタン高原を撮るとどうしてもこうなってしまう。
画面のほとんどを占める空、小高い茶色い丘、そして黄色い大地に野生動物。360度広大なひろがりを持つ大地を表すのはむずかしい。
そこで考えてみた、電子本などを見るために持ってきたipadのビデオで映してみたらどうだろうかと。さっそく撮りまくる。
しかしすぐに容量がいっぱいになってしまった。
そして帰国してからわかったのだが、旅行記を書こうと思っていたブログはどの会社のブログも動画を掲載できない。youtubeに一度載せてから貼り付ければできるが。
youtubeに載せるというほどのものでもないし、他のアプリを削除してまで撮った動画が無駄になってしまった。
しかしせっかく撮ったビデオ、少し載せてみることにした。
後ろの席の窓からの風景、こんな感じがずっと続く。
途中、野ロバがたくさんいた、道をそれてそっと近づき追いかけ回す。一生懸命逃げまわる野ロバを写真に撮った。しかしそんなにうまくは写せない。
しかしとっても楽しい。こんなオプショナルツアーを組んだらうけるかも。
ナム湖からニマあたりまではとてもたくさん湖があり、その美しさに感嘆してしまう。これから行く人はニマまで足を延ばしてみてはどうだろう。
ナム湖はかなり観光化されていて、旅好きの中国人がたくさん来る、するとどうしても空気が汚れてくる。それにくらべこのあたりは空気が澄んでいる、ってことは空の青さも湖の青さの微妙な違いもきわだつ。ホテルは少し劣るが。
小高い丘で撮影休憩、もう一台の車の到着を待つ。
そしてまた走る。本当に何にもないところだ、でも美しい、こんなところが大好きだ。
通りがかりのチベタンに道を聞く。家族四人乗り、どこへ行くんだろう。つまりずっとこの先まで人は住んでいるってことだ。
3時間くらい走っただろうか、一軒の家の前に着いた。
そこの人に聞くとどうやら道を間違えたらしい、やはりこの道をたどるのはむずかしいのか?
結局家の前で買ってきたお菓子やフルーツを食べて昼飯にした。そしてもと来た道をニマに向け戻った。
ニマに戻り町のはずれのタルチョの丘へ。チャンタン高原ではタルチョはあるにはあるが、アムドのように大量のタルチョが飾ってある所はなぜか少ない気がする。チベット仏教も宗派によっていろいろかわるのだろうか。
ポン教のマークが石で描かれていた、まんじ卍だ。
しかしチベット仏教は逆まんじ卐みたいだ。日本の仏教も卍だ。ついでにハーゲンクロイツも卍だ。なんだかよくわからなくなってきた。もともとはアジアも欧州も幸せを表すものだったらしいが。
この辺りから西はポン教徒が多いらしい。カイラスでも左回りのチベタンを多く見かけた。
もしかしてコルラが、チベットの仏教徒は時計回り、ポン教徒は逆回りなのはまんじの向きによるのだろうか……となると我々日本人の仏教徒は逆回りしなければならなくなる、う~ん…。
しかしポン教とはなんだろう、本などを読んでみてもよくわからない。
ポン教のサイトを見たら、正しくはボン教と言い、紀元前中央アジアで生まれた宗教で仏教よりも早くチベットに伝わったと書いてあった。しかしほかの本では仏教から派生した新しい宗教だとあった。やっぱりよくわからない。
なにも旅行中そんなことを考えていたわけではないが。
ニマの夕食も美味しかった。